蝶のように舞い蜂のように刺す

作品へのありがたみを込めるお(^o^)ノシ 舞台・2.5次元ミュージカル・映画の感想備忘録。

【観劇感想】レ・ミゼラブル(Les Misérables)

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東宝 レ・ミゼラブル 2019

Les Misérables(通称:レミゼを観劇してからというもの、天使のファンファーレが頭の上で鳴り響き魔法のパウダーが降り注ぎニヤニヤしながら街中で踊り出すカーニバルなので、感想を残しておこうと思います。当方生憎ダンスはできませぬが…f^_^;汗汗滝汗

 

“テンション上がりすぎて踊り出しちゃう”っていう、外国の人など一握りの選ばれしリア充による高次元の感情表現があるじゃないですか。

ダンスの神に見放された私にはこれまでまったく理解できなかったけど、レミゼ観てこんな感じなのだろうかと思えた。踊れないけどうわぁぁ…!って気分。レミゼ観劇中はそんな調子で隊列の中で自由のこぶしを掲げていましたし、「ガブローシュたん(ものすごく早口)」と唸るだけのおねショタと化したのです。ガブローシュたんガブローシュたんコゼットたん

 

レミゼが凄いってのは芸人の斎藤さんの髪が薄いってのと同じくらい世界の常識だがレミゼは凄かったし、斎藤さんはカツラをかぶっていても面白かった。

レミゼの何が凄いのかって考えると語彙力を失って「凄い」という鳴き声のブタでしかなくなるのだが、18世紀のフランスにタイムスリップしたような感覚でした。月並みな感想でした。

 

 

レミゼといえば世界各国で愛される歴史深い作品。映画版が公開され話題になった当時、モテる女の子たちが「レミゼレミゼ」言い出して「レミゼ」がリア充グループの関門通行手形となっていた。あの頃陰キャだがリア充グループとも親交のある貿易商オタクであった私は、生きる術のひとつとしてレミゼを観た。

ウルヴァリンの人(X-MEN)奴隷と市長の演じ分けすごい!アンハサウェイかわええ!という感想でした。(安い感想、安い感性)

 

レミゼのミュージカル(というより、どミュージカル※どえらいちゃんとしたミュージカルの意)との出会いは友人の出演した舞台でレミゼソングを拝聴したときで、雷に打たれたような感動を覚えました。演劇に関してろくな教養もないくせに僭越ながら、特に「民衆の歌」の衝撃はすさまじく「ミュージカルで歌うための歌」という概念がはじめて芽生えた。

 

18世紀後半、封建政治の重税と飢えに苦しむフランスの人々に啓蒙思想がなだれ込んだ。どのような思いで民衆が立ち上がりボロボロの服のままこの歌を口にしていたのだろう、そんな情景が頭に浮かんでくるような迫力と情熱は凄かった。世界史には明るくないのですが、フランス革命は歴史の熱いターニングポイント。

そして陰キャの私なんかと友人でいてくれる彼女がこれまでの生涯の中で自由を犠牲にして、どれだけ練習につぎ込んできたかを私なりに感じていたので、登壇している人たちの鍛錬の成果の裏側にある見えないもの(だが舞台に重くのっかっている)にも尊敬の念がわいた。

 

 

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「自由・平等・友愛」フランスの標語を示唆するおしゃれなトリコロールの国旗。赤と青のパリ市民軍の色に、古代フランス白百合の紋章を加えたもの※諸説あり

 

〜あらすじ〜

十字架を背負った叩き上げの根が善人の男が、因縁の警官に粘着されながらも、男に捨てられたシングルマザーの娘を過去のつぐない的に育てる、結果オーライな人生(世の中はフランス革命で大変)

  

ここにいたこと

大きな箱の中に描かれる絵画を覗き込みながら人の一生を眺めているようなリアリティとパワーがあって、観終わった後は胸がいっぱいで、いい意味で気疲れしていることに気づきました。

そこには確かに人々の人生があって、たかがひとりの人間でしかない自分にとって人の一生を眺めるのは体力を使うんだなと思った。だから舞台に限らず「おはなし」はおもしろい!

 

悲しいのに歌うんかーい!等つっこんでしまいがちでミュージカルは苦手なはずなのに、東宝レミゼは全編ほぼ歌にのせてセリフを言ってるのが引っかからずのめり込めました。役でなくフランスの黎明期に生まれた人たちがそこにいるんだと思い込む…歌が上手いから自然に入ってくるし、人って感情が昂ぶると歌っちゃうんだ!いい役者さんには作品の世界の中へ観客を引き込む力があると知りました。説得力がある。

 

 日本でも昔の炭鉱夫はタタラ場でたたらを踏みながら歌っていたというし、きっと人はつらい現実を紛らわすために歌っていたんだな。娯楽の少なかった時代に人を救ったのが歌だったのかもね。そうやってミュージカルが生まれたんだろう。だから魂のこもった歌ってパワーがあるんだ。

 

 

聖人ジャンバルジャン

時代の理不尽に巻き込まれて辛い目に遭って闇堕ちしかけたジャンバルジャンだけど、司祭様との出会いでハッとする。「俺このままではあかん、自分が恥ずかしい」って立ち止まって新しい命をもらった人。

過去に重ねた罪がどうあれ、生きてる間につぐないはできる。つぐないのひとつが自身のせいで巻き込まれて不幸に堕ちたファンテーヌの娘であるコゼットの面倒をみることだった。

 

凄い人だなぁと思う。ストイックなんだろうな。クライマックスではなんでコゼット達から離れるの?とびっくりしたけど、彼にとってコゼットのことはちょっと好きみたいな感情もあったような気がする…そんな言葉じゃ言い表せないような、バンジャルジャンの知りうる女性像のすべてとも言っていい宝物だったのかな。若いカップルから離れたってことは内側に隠した何かがあったはずだ。

彼なりに幸せな最期を迎えられたのではないかなぁというジャンバルジャンの生涯を、神様はずっと見ていたんだなと思った。やっぱり神様は見とるんや…科学的な根拠はわからんが、自身の振る舞いって心理的な作用で将来に影響すると思うし。

 

奴隷時代の若々しく野蛮な姿から、気品と貫禄が際立つ市長の壮年期、父性を携えた晩年まで役の振り幅がすごいため、ジャンバルジャン=上手い役者さんの代名詞の役という印象。

観劇後は「ジャンバルジャンの人上手いっ」とあたりまえ体操してしまった。劇団四季出身の吉原光夫さん、間が心地よくて(間が変だと一気に賢者タイムが襲うからとても大切だと思う)ナチュラルにミュージカルが耳に入ってくる素敵な演技をされていました。

 

 

かわいそうな美人ファンテーヌ

ファンテーヌは美人で、男の人と恋に落ちてコゼットを身ごもるんだけど男の人は逃げちゃって、まだちょっと過去から抜け出せないでいるシングルマザー。

でも若い頃の愚かさを自覚しており、子供のために出稼ぎに出て仕送りをする強い母親です。あの時代は今よりはるかに女性ひとりで子供を育てるのは容易ではないというのは想像がつく。時代はファンテーヌを娼婦へと転がり堕とす。

 

有名な「夢やぶれて」はみんな大好きだけど私も大好きな曲です。100万回聴いたオケがはじまった途端、好きまるがあふれみで涙(;_;)

英語版タイトルは「I Dreamed a Dream」‪‪──‬夢を見た、みたいなニュアンスかな?

夢見がちな若気の至り、現実を知りつつも、まだ絶望から抜け出せていない人生の荒波を表現している綺麗な曲。ファンテーヌの女性としての美しさ、愚かさ、母としての強さを詰め込んでいて、人生に挫折を覚えたことのある人には響く曲だと思います。

ファンテーヌは女性としての人生を謳歌した人だと思っていて、美人であるがゆえの悲劇が独特の儚さを生み、胸に響く(;_;)工場長から誘われてるせいで同僚から妬まれて意地悪されて…純粋な美人に降りかかる理不尽の数々。

ファンテーヌももっと生きる知恵があれば、下手に出て喪女ポジション演じてうまくやり過ごせたかもしれないけど、社会の中で美人が普通に仕事するのって逆に本当に難しいんだと思うよ。工場長ナンパするならもっとうまくやれよっ!女側にもいろいろバランスがあるのにーっ!笑 

 

孤児から都会に出てきて変な男に捕まっちまった美人ファンテーヌという概念には純粋無垢と色気と母性を求めてしまうのですが、二宮愛さんえろかったです(>_<)♡すんまそん。慎ましやかながらも気品の感じられ、大人なんだけど若々しさもある色気が…よき!!!

 

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実家がお金持ちっぽいマリウス

ジャンバルジャンに引き取られ美しく成長したコゼットはパリの街でとある青年と恋に落ちる。皮肉なことに、かつてコゼットを虐めてた夫婦の娘・エポニーヌが恋する青年マリウスと(T . T)こういうのって不思議と引き寄せるものなんですかね?因果応報の典型。子の代にまで巡るのこわいね。

 

ここの演出が素晴らしすぎた…!!!ふたりがぶつかった瞬間にパァァって世界に色彩が宿るような一筋のスポットが。あっいま恋したな!ってすごくわかった。笑

全体的に無駄のない演出が圧巻でしたが、縦横奥行きを使った緩急のつけ方に加えて、リアリティがありつつ「民衆を導く自由の女神」のロマン主義絵画の世界を再現したような情緒的なライティングがよすぎて最高です。バリケードの紛争のところなんかも、オケの迫力と合わさってすごい臨場感。

 

コゼットに出会ってから世界のすべてが光り輝き上の空の日々を送るマリウスがかわいすぎる。若いっていいな♡三浦宏規さん扮するマリウスの恋の解釈がわりと乙女寄りでかわいかった!恋した瞬間ってこういう感じだ〜!ってニマニマしてしまう(´▽`)

マリウスって家出中の貧乏学生って設定だった気がするけど、あの時代に先進的な民主主義的な思想を持って革命に加わっていたってことは聡明だったと思うんですよね。弁護士だしね。生い立ちの影響もあるのでしょうが。でも革命するぞー!って突っ込んでいるタイプには見えなかったから若さゆえの葛藤とか、かたぶつなりにエポニーヌの気持ちに気づかぬまま、かっこつけの中でコゼットに恋をして、年頃の男の子なりのいろいろがあったんだろう。

マリウス青年は品があるから育ちが透けてて、いいところのご子息っぽく見えたし目立ってたなー!「僕はマリウスポルメンスィ」って歌うところがすごい好き。本当に嬉しそう&楽しそうに歌う。

 

 

コゼットは光

ファンテーヌの娘であるコゼットは、いじわるな宿屋の夫婦の元に預けられ虐げられる辛い幼少期を過ごす。

だけどその品性を失うことはなかった。コゼットは生まれつき雲間から天の光に差し照らされているような独特の気品をまとった少女だった(ポエム)

 

コゼットは品があって清らかで、優しく包み込んでくれる母性もあり、画面の中でそこだけ光っているようだった。キラキラがあふれてる。

気品って顔立ちとかじゃなくて本人の持った資質だと思うので、熊谷彩春さんの天賦の才だと感じる。ヒロインはこうでなくっちゃ!的なヒロイン感がたまらないんだ!観劇後にSNSをストーカーしたらお顔もかわいかったけどねぇ。おじさんこういう子のこと好きだなぁσ(^_^;)

少し間違えたら軟弱に見えたり嫌味ったらしくなってしまう役だと思うんだけど、傷ついたマリウスを慰めて抱きしめるところは母の慈愛を感じたし、お父さんに会いに行くところとか自分の確固たる意思を感じた。

 

生まれ育った環境に影響を受けて人格が形成されるのは仕方がない。コゼットが育った劣悪な環境、あのような仕打ちを受けて、普通なら人を妬んだり嫌ったりひねくれたり黒い部分が出てくるものじゃないかな。

でもコゼットは違った。人を恨んだりしなかったし人を悪く言うことはなかった。

環境は変えられない。国民が飢えに苦しみ自由を求め混沌としていた18世紀のフランス、自分が生まれ落ちる時代には誰も抗えない。

でも自分の心の持ちようで、時代や過去や人を、恨むか許すかのコントロールはできるとコゼットは証明したんだ。時代や環境を恨んだってどうしようもないことがほとんどで…心のあり方は自分の軸であり、自分の人生は自分だけが主人公だから。

あんな暗い時代にコゼットは清らかで、そこだけキラキラ光っていた。コゼットは自分で光の道を選んだんでしょう。強く賢い女性だと思う。遠くにいてもお母さんの愛情に守られていたからなのかな?

だからこそ、自由を手に入れようと立ち上がり自分の意思で行動していたマリウスと惹かれ合ったのかもしれないなと感じました。自分で運命を掴もうとする人の元に道は拓けるのだ。それは知性でもある。

 

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見ていて刺さるエポニーヌ

 「あの何も知らないって顔したお嬢様(うろ覚え)」

さらっとだけど、嫌味ったらしくコゼットを皮肉ったエポニーヌ。

コゼットはエポニーヌに何もしていない。ただ、今は立場が逆転して貧しい暮らしを送るエポニーヌにとって、恋路にとつぜん転がってきたコゼットの存在が脅威だった。顔が可愛いだけで何もしない女に、ってコゼットに対して思う人がいるのも事実。

 

私なら好きな人が好きな相手をその人の前で悪く言わないし、好きな人に嫌われたくないし傷つけたくないから言えない。だからエポニーヌの行動選択はわからない(T . T)

ただ理解はできる。きっと昔は自分も同じようなことしてしまっていた気がする。そして品のない選択をすれば上手くいかないもの。だからエポニーヌの一挙一動すべてが刺さる…きっとみんなの心に同じような棘が刺さっている。みんな成長途中で同じような道のりがあったはずだ。

その暗い闇を乗り越えるか、悪い方に誘われるまま落ちぶれるかは、自分で選ぶことができると思う。エポニーヌは悪口言うだけじゃなくて、好きな人のために行動ができる勇気と、好きな人の前では少しでも潔白でいたいという健気な心のある女性だと思う。

「オン・マイ・オウン」は綺麗なメロディに切ない歌詞がのった名曲。やりきれない片思いの叫びが印象に残る曲で、こんな風に感情のせて上手に歌えたら気持ちいいんだろうなぁと思う。

 

でもライバルの恋路を助けるキューピットとなって尽くすなんて…いいシーンなんだけど、もったいないって気持ちになってしまった。

エポニーヌはマリウスのためにって思ってやったんだろうな。好きな人の頼みだから、ほいでマリウスに抱かれながら死ねて幸せだった。まだ若いエポニーヌの世界は狭くて、それがエポニーヌの幸せのすべてだから。

他人の幸せを願うのは素敵だけど、自分を犠牲にするのは違うと私は思う。人は結局自分の幸せにしか責任を取れないし、他人のために自分を犠牲にしたらいつかめぐって逆恨みにつながってしまう危なさがある。だから自分のことを“惨め”だと思ってる状態で人に尽くしたりしなくていい。幸せを分け与えるのは別だけども。

 

さらに、最期マリウスがエポニーヌを抱きしめるなんて、マリウスは逆にひどい!ってちょっと思った(T . T)

それはエポニーヌの最大の望みだったんだろうけど、まさに男性の性という描写で…マリウスの心はコゼットに決まっていてエポニーヌの想いに責任取れないのにそんな中途半端な優しさいらないよっ。エポニーヌに触らないでー!って暴れたくなった笑 最後キスしなくてよかった☺︎笑

でもエポニーヌは砦で死に行くマリウスの元に戻ってきた。せめて最期はマリウスと同じ場所で死にたい、という健気な想い。そして幸せに死ねたことを思うと複雑ですね。結果的にマリウスの命はエポニーヌに救われたものの、マリウスはエポニーヌに生きて欲しかったんだと思うよ。戦いの場から逃して生かすために手紙を届けて欲しいと頼んだ優しさがあったんだろうに…。マリウスは若々しくて不器用だけど優しいんですよね。

お互いの気持ちはここでもすれ違い。献身と自己満足はいつも表裏一体で皮肉なものです。

 

ただ、マリウスにとって、エポニーヌはタイプじゃなかったんだね。マリウスに好き好きって雰囲気出してたけど照れ隠しなのか乱暴になっちゃってて、これまでずっと友達以下だったしそれが現実。

マリウスが道端で急にぶつかった光がコゼットだった。頭の上に天使が舞い踊りファンファーレが鳴り響いて恋はジェットコースターみたいにとつぜん落ちてしまうから、誰にも止められないんだ。エポニーヌは違っただけ。間に入ろうとしてもぶつかって自分が怪我するだけ。

 

だから、エポニーヌのよさわかってくれる人この世の中に絶対いるから、違う人に時間と労力使おうよ!!!って肩を揺さぶってしまう。

コゼットのことは「素敵な子だね」とでも言って笑って明日には違う男の子とデートしにいこうよって思った!その方がよっぽどいい。短い人生自分のことを好きにならないようなセンスの悪い男の子に使う時間なんてないっ!笑

楽しい1日、暗い1日、どっちも同じ24時間ならむりやりでも切り替えて楽しい1日を過ごすほうがいいし、好きな男の子に性格悪いって思われる必要もない。

 

でも何も言えないし、その人にとってそこにしか幸せがないから口先で止めるのなんて愛がない。止めたとして、女の私にはマリウスの代わりはできないし代わりに命をあげることもできなくて、エポニーヌの幸せに責任なんて取れないし本人が決めるしかない。

もしも時代が違ったらエポニーヌは生きて、違う男の人とケロっと幸せになってたのかな。死んだからそこまでなのにと思ってくやしくなる。

 

エポニーヌは上手く演技しないとただの安い女の子のように映ってしまうかもしれないから、演技が胸を打ったんだと思う。見ててのめり込んでしまったからハラハラした!唯月ふうかさん、強くて片思いに焦がれて健気で暗さのある空気の作り方がお上手で。男まさりで気の強い溌剌とした中に女性らしい不安定な自己憐憫が混じったような演技がよかったです。泣き泣き。

 

 

彼女がいなさそうだけどかっこいいアンジョルラス

革命軍のリーダーアンジョルラスは知性と教養と統率力と勇敢さを兼ね備えたイケメンで、かっこよかった!革命バカ的な感じなので彼女いなさそうだけど。

カフェでの民衆の歌の力強い入り方や、バリケードに向かうシーンの演出が最高にかっこいい。観劇中のあなたも隊列に加わっていること間違いなし。

小野田龍之介さん、懐かしい!柳生の頃から社交的で知的だった印象。メガネを取って貫禄がついてかっこいい男性になっていた。

  

 

秩序に殺されたジャベール

知性は人を喜ばせるためにあると私は思う。思慮深さがあれば共有する時間をもっと楽しいものにできる。論理的に対話して、お互いの個の違いを理解することができるはず。

知性がないと人は異なるものを攻撃しはじめる。自分と違うもの、持ってないものが理解できないし、対話という手段でなく攻撃を選んでしまうから。

フランス革命では時代の流れの中でどうしても対話では解決できないわだかまりがいっぱいあったから、「自由・平等・友愛」の代償として、たくさんの命が失われてしまった。

 

律する心のある警官ジャベールは頭はよかったのかもしれないけど、知見は狭かったんだと思う。もっと多くの世界や価値観に触れて、そして赦す心を持たなかったから自滅した。己が正しいと信じるものや世界は決して完璧ではなく、裏側や例外があって、ひっくるめて受け止めていく心が必要なんだ。でないと常に裁き、裁かれる人生になってしまう。

ジャベールは罪人だと憎んでいたジャンバルジャンが聖人だと知ってしまったとき、法の穴がわかってしまって、狂った。彼を殺したのは自分自身の弱さなんだろうな。

伊礼彼方さん懐かしい!若かりし頃の伊礼さんの佐伯は嫌味のない社交的ハンサムで好きでした!年齢を重ねて、尖りと妖しい感じも残しつつ、いいハンサムでした。

 

 

まとめ

見据えるべきは過去でも未来でもなく現在だと思う。

過去に固執して弱い自分に殺されたジャベール、未来に夢をみすぎて堕ちたファンテーヌ、、、悲しい末路はそれぞれの人生でしかない。

でもやっぱりマリウスやコゼットやジャンバルジャンのように「現在」に照準を合わせて慈愛と赦しを持ち、自分たちの足で生きていくしかないんだろうな。

砦で散っていった仲間への償いや、結果として踏み台にしてしまった恋敵のことを想っていてもご飯が食べれるわけではない。人によっては薄情だなって思うかもしれないよね。

でもそうやって強く前を見たふたりだから、あの厳しい状況下で道が拓けたのかもしれない。

 

「感性を磨く」というのは、質のよい作品によりたくさん巡り合うことが大切らしい。

Les Misérablesは児童小説としても有名で、こういう万人に寄り添った質のよいおはなしやお芝居に触れる経験はいいなぁと思った。

「どうしてジャベールは橋から落ちたのか」「アンジョルラスを革命へ駆り立てるエネルギーは何なのか」「ファンテーヌにもっと別の選択肢はなかったのか」「マリウスはなぜエポニーヌでなくコゼットを選んだのか」

‪‬それぞれ異なる価値観に、なぜ?を見出し探究し考えることが哲学を鍛えあげるのかな。そこに正解なんてなく、出した答えが自分の人生の中の答えなんだろうな!

いろいろなことを考えながら、「ワン・デイ・モア」を聴くとじーんとします。

 

レミゼは曲がよすぎて全部微妙な曲なんてないから全部いいですね(/ _ ; )生オケ最高だー!

子役の子たちめちゃめちゃ可愛くて上手でたまらん気持ちになったし、キャストさんみんなよかったからよかった!!!って感じなんですけど斎藤さんに湧いたし、斎藤さん痩せてて俳優さんだと思い込んでた笑

途中で斎藤さんだと気付いた瞬間吹き出しかけた!すごい歌うまいしコミカルなシーンでのさりげない顔つきがおもしろくてほんとコメディアンの方はすごい!と思ったし斎藤さん髪があってもすこすこのすこ。

斎藤さんすこすこのすこofスコットランド