【読書感想文】『推し、燃ゆ』
── 推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。
── 推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。
〜あらすじ〜
アイドルの"推し活"に命を捧げる高校生のあかり。
推しの炎上騒動とともにあかりの冴えない日常の歯車も狂いはじめて、人生ごと崩れていく。
現代の女性が熱中する推し活に対するメンタリティを知る貴重な資料。フィクションでありながらも若者の姿を露呈しつつ自嘲し皮肉り、まるで現実に起きた出来事のような温度を感じる作品。
読んでいて、現役大学生の著者・宇佐美りん氏もまるで主人公あかりの本質に重ねて混じっているような感覚に陥る。第164回(2020年度下半期)芥川龍之介賞を受賞した実力に裏打ちされた文章の読みやすさも相まって、現代の若者の感性を知ることのできる生きた素晴らしい文学でした。
主人公のあかりは見てて痛々しいけど、今の感覚を描いててなんか読んでて切なくて吐きそうになる、リアルにある恐怖。
── だいぶん昔、父の海外への転勤に一家がついていくことに反対したのは祖母だった、と聞いた。
あかりの母親は典型的な毒親である。世間体を気にしてばかりで、子供達の意思や個性は尊重してくれない。『まとも』に育ってくれて世間から文句を言われないことが至高だという価値観が透けて見える。
あかりの家は表面的には家庭の形をしているけれど中身としては家族として機能していない。毒親もまた毒親の被害者で、あかりの母親のストレスの原因はその母親である祖母との摩擦から生まれていた。
海外単身赴任中の父親は女性声優におじリプ(おじ投稿?)を飛ばしていて、本質的には子供に無関心。あかりにはキモい父親の説教は耳に入ってこない😅😅😅‼️
こんな家で生まれ育ったら私だって自己肯定感スカスカの空っぽになってしまってたと思う。あかりがかわいそうだと思ってしまったよ。
私個人的には人生を振り返ってみて否定されなかったことでしか道が拓けてないから、若い子への否定や抑圧ってむしろ逆効果じゃないかなと思う。
勉強ができない、バイト先でも使い物にならない。世間のレールにはまりきれないあかりがオタクの世界に足を踏み入れたのは納得だ。オタクの世界はそういう一般社会ではどうにもならないような人の避難場所という側面が十分にあるし、そうであり続けて欲しいと私は思っている。
●にたくなるくらいの人生なら劇場来いよ!即売会来いよ!コスイベ来いよ!って感じで思い切ってオタクやって人生捧げればそれはそれでしあわせかもよ(* ॑꒳ ॑*)
勉強や仕事ができなくても、あかりが運営する推しに関するブログにはファンがついている。推しには興味関心があるから、探偵並みの執念で情報を集めることができる。それって超すごいじゃん!!!普通に働ける人でもSNSの閲覧数伸ばすことなんてできない人多いんだから、それはそれですごい才能じゃないか。エンタメ系のマーケティングとかやってみたらど?
ただ好きなことを好きと言ってても社会の需要にマッチしなければ対価は生まれないけど、このエネルギーを身近な家族に認めてもらえていたら、あかりは自暴自棄になることもなく別の道で才能が開花できたような気がする。親や周りの大人は利己的で、短絡的な利益に目が眩むように若者に口出しをしてしまうんだよね。
まぁでも私個人的にはやることやってから好きなことをやるって価値観で人生を構築してきたから、あかりの甘さに口出ししたくなってしまう大人の気持ちもわからないでもない。今の日本で凡人がろくな学歴なく、イレギュラーな生き方をするのって難易度スーパーハードモードだ。なんとかなるとは思うが。
── 翌日、電車の乗車口に駆け込んできた成美は開口一番「無事?」と言った。
友人の成美はあかりとは違ったタイプのオタクだ。
成美は同じグループを推していたけど、より身近な地下アイドルに"推し変"した。結果、整形してかわいくなって推しと繋がってセフレ的なものになった。
あかりはそんなに積極的な方ではないから、性格的に繋がりオタクは向いてなかったんだと思う。
成美はまだ現実の肉眼で可視化できる男性を追いかけているけど、あかりは窮屈な人生の逃げ道の幻想を推しに求めているような気がする。
人生捨てて推しに命を捧げる道を選ぶとしたら、なんでもして鬼稼いで全身整形してやりたいことやるだけやって燃え尽きればええやんけと思ってしまう( ᷇࿀ ᷆ و)و美しい自分は残るし……!!!成美の方がまだ理解できるかな。
──常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だと言う。
あかり、ダメ男にハマってるけど夢から醒めない状態の女友達を見守っているもどかしさに似てる。
元も子もない視点かもしれないけど、ダメ男の場合は現実で肉体関係があるけど推しってプライベートで接点があるわけじゃないから本音で喋る機会なんてほぼないわけだし、よけい偶像化するんだと思う。ダメ男にハマるよりも推しにガチ恋してしまうと厄介。まさに沼って感じだ。
推し活に熱を上げるあかりに対して、周りが「現実の男の子を知らないからだよ」って言ってくるのをあかりが鬱陶しがっているけど、あきらかに推し沼はあかりに現実の同世代男性との接地面が少ないことが原因だと思う。共学の学校なのに作中で同級生の男の子の話題が一回も出てこないのは異様だ。そもそも自分で一回も試してないのにそんなのいらない!よくない!っていう人間が苦手なんで、あかりみたいな女の人見ると肩掴んで揺さぶって頬をビシバシビシバシしたなるよね!恋愛経験が少ないと推しに沼るんだってば。いいカモなんだってば⊂( ’ω’ )=͟͟͞͞⊃
一般的な社会に触れてこなかった芸能人間特有の不器用な社不っぽさをかわいいと錯覚してて、沼ってるそのものじゃないか。グループ解散を個人的な配信で暴露してしまうようなコンプラ意識どころか社会的判断が欠如した推しに、一個人として尊敬できるポイントはあるのかぁーーー???はぁぁぁぁ何やこいつ!?ファンとメンバーのこれまでの時間や労力を侮辱すんなよって思ってしまった\(^o^)/
なんか悪口になっちゃうけどあかりの推し、こんな中途半端で社会人にもなりきれなくて顔だけいい女は殴るくそしょーもない若者に時間もお金も浪費されるのマジで無理なのだが\(^o^)/
女の子って一回ハマってしまうと沼るのはわかるよー!だがそれはリアル恋愛でやろうせめてって思ってしまうよ。だって●ックスすらしないのに…⁉️って驚愕(•͈́༚•͈̀;)あかりへのリターンて何⁉️大丈夫そ⁉️でも推し活してる子からしたらそういう問題じゃねーから!オメーの席ねーから!って感じよね(•͈́༚•͈̀;)ごめんちゃい
男性がアイドルに求めるものは総じて"性欲"に繋がるものの、女性はきっと推しにそれ以上の『心』を捧げてるんだよね(男性アイドルついてる生き霊だんとつで多い説)
でも推しなんて知り合いでもないんだからいい意味で距離置いてかないと入れ込みすぎてしまうよ。自分の虚像の中で作り上げた推しのパーソナリティが崩れた時恨みと攻撃に変わるのが怖い。
私は好意の質量バランスを保ってくれない愛情は苦手だ。人間は相対的な生き物だから、バランスの崩れた状態はまさに不健全だと思う。
なぜなら愛憎の裏返しという言葉のように、好意は時として刃となる。無償の愛なんて育むことは難しくて人間いつの間にか見返りを求めてしまう。
相手が犯罪を犯しても理由を聞かずにかくまえるみたいなものが私は愛だと思う。家族にだってましてや推しにだってそこまでの覚悟を持つことは簡単じゃないはずだし、それって結局他人軸で生きることになりがちだからまずいよねって話。
質量の大きな愛情ベクトルを向けられると特有の吐き気が込み上げてくる感覚、あかりにはないのかな?よく知りもしない人にクソデカい感情向けられるのって好意でも結構恐怖。
アンバランスな愛情はあかりだって向けられてるんだよ。親からの説教や、常連の勝さんがバイト中のあかりに絡んで急にしらけた態度を取ったのだって、一種の独りよがりの愛情じゃないか。若い女の子に特別扱いされたくて、試してつれなかったから突き放したんでしょ。そのせいで巻き込まれたあかりは自分が叱られる目に遭ってた。質量ベクトルって一方的だと表裏一体ですぐに裏返るんだよな。
それは向けられた側にしかわからないし、無作為なベクトルを突き刺されやすい敏感な八方美人にしか備わっていない感覚なのかもしれないな。
── 携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。
あかり、推しとはへだたりのぶん優しさがあることに薄々気づいていて、でも現実を直視できてないみたいな感覚なのかなと思った。夢の幻想に浸っていたいんだね。推しの真幸を幻想のための道具みたいにしてる。ある意味推し活ってのは相互に非情な一面を孕んでる。
人々の幻想という好意のベクトルをかき集めて商売にするのが芸能というお仕事だと私は思う。同時に、人間の至らなさやいびつな不完全さを愛しているからこそ、そんな人を愛していて、何かしらの希望や活力になりたいと願い身を削って活動することが表舞台のお仕事とも思うよ。
好きは活力になる。オタクは好きって純粋な気持ちから始まってるから、例えば歴史物の作品にハマって日本史が得意になったり、オタ活を自分の糧にすることができる。あかりだって推しの舞台の時代背景を調べたおかげでロシアの情勢に詳しくなったりしている。
ただ生身の人間が介在すると事情は変わってくる。そこには夢見がちでいながらもドロドロした愛憎が渦巻きはじめる。推しのプライベート、恋愛関係、理想と違う内面を覗き見たファンはどうしてもショックを受けるし推しに関わる異性を脅かしはじめる。上手く言えないけど生身の人間が関与すると必ずそう。長いことオタクやってきてそれは知ってる。
特定された推しのマンションまで勝手に足が動いていたあかりのストーカー行為だってそうだ。やられた側はとても恐ろしいことだけど、やってる側は仕方ないみたいにストーカー行為がサラッと描かれていることがとても恐ろしい。推しは芸能界を引退していて、同棲する彼女がいるのにね。あかり怖いよ(•͈́༚•͈̀;)
──所感
私がずっと思い続けてることなんだけど、自分の幸せが成り立ってないのに他人に幸せを分け与える必要なんてないよ。てゆうか出来ないよ。愛は溢れたものを周りの人と分け合うことくらいしかできないんだよ神様でもない私たちには。。自分の幸せが構築されてないと逆恨みに変わる、愛憎は。゚゚(´□`。)°゚。
昔でいうヤンキーの非行に走るみたいな行為が、今の時代だと過激な推し活になっている気がする。ヤンキーみたいに暴れるパワーも残ってなくて、むしろ若者の抱えるストレスが昔とは違うベクトルのような感覚だ。
もちろん全ての人が当てはまるわけじゃないが過度に推し活に傾倒してしまう人って家庭に微妙な問題があるパターンが多いような感じがする。あかりの親だって立派な毒親だ。祖父母問題は子供に関係ないしヒスの女の人苦手だからあかりの母親は見ていて辛かった。大人のメンタリティの問題に子供を巻き込むなよって話ですな。
あかりが人生転がり落としたのもけっこう親の責任が大きいと思った。家族の誰も、あかりのこと結局本当の意味では愛してないような感じでどうでもいいんだろうなと思える言動ばかりで心がしんどくなる。就職しろとか私がやってるんだからお前もがんばれとか根拠のない自分の保身はっかりな言葉だけかけてヒステリックになって、あかりの抱える心の問題には向き合っていないのが不気味だ。高校生くらいの歳の子ならまだ不安定で、生きる目標が定まってない子だって多いんだろうなと思うし。
あかりが推し以外のものに対する無気力なことの原因って自己肯定感の低さが原因なのかもしれないと感じた。空っぽで愛せない自分自身を"推し"という幻想の存在で染めて生きる。もはや病気のような依存。
自己肯定感を高めること。ありきたりな言葉だが、私が思う今の日本が抱える課題のように感じる。